落語とは人間の業の肯定である。

好きな表現者の一人に
亡くなった立川談志師匠がいます。

立川談志CD-BOX

以前、なにかで師匠が
「落語とは人間の業の肯定である。」
とおっしゃっていたのを聴いたことがあります。

人というのは
みっともなくて、助平で、ぐうたらで、感情的で、
弱くて、どうしようもない。
ゆえに、おもしろく、魅力的で、美しい。
そんな人間を肯定するのが落語である。
立川談志師匠はそうおっしゃっていたように思います。

で、師匠が言っていたんですね。
落語は忠臣蔵、赤穂浪士ができない。
主君の仇を討つために、
討ち入りをし
最後に切腹、
もしくは斬首の刑を受ける四十七士たち。
ちょっと話がかっこよすぎる。

でも、本当は。
逃げちゃった奴も実はたくさんいる。
四十七士以外に。
「え〜、こわい」
「やだよお。おっかあと一緒に暮らしてたいよ」
「主君のために死ぬなんてやだよ」
そう言って討ち入りに行かなかった奴ら。
そういう奴らを描くのが落語だと。

みっともなくて、助平で、ぐうたらで、感情的で、弱くて、
どうしようもない。
いろいろと割り切れないものを持っていて、
そういう人間のどうしようもないところこそ、
ぼくは実は人間の強さでもあり、魅力でもあるような気がします。

感情に流されることなく合理的で、
働き者で、決断力がある。

それはもちろん立派ですし、かっこいいですけど。
でも、人間の本質ってこういうこと
だけじゃない気がするんですよね。

だって、それってまるでAIみたいですもの。
ま、もちろん、それも大切なことですけどね。

ぼくは落語に描かれる人間のどうしようもなさに、
なにかとても大切な強さを感じるのです。

なので、今日は、ぐうたら、昼寝して、
ブログをさぼろっかな…

と思いつつ、なんとか書きました。

では、そんなわけで今日の短歌です。

 

【今日の歌詠】

万来の爆笑の中噺家が高座を下がる虚の顔をして

 

落語を聴きに行くたびに思うのですが、
落語を終え、座布団を立ち、
高座から下がるときの落語家の顔。
本当に独特の表情をしています。

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たわら だいふく

たわら だいふく

ブログ歌人。 職業はコピーライター。 TVCMやグラフィック広告をつくりながら、 「1日1更新」を目標にブログの中で、 日々の些細なできごとを短歌に詠む。 「短歌を詠むということは、世界を肯定していくこと」 という考えのもと、日々コツコツと短歌を詠んでいます。 夢は歌人として歌集を出すこと。 そして、その歌集が100年後も読まれ続けること。 応援よろしくお願いします!