ああ、心配性。

イギリスの街角で撮った写真です。

写真はイギリスを旅したときの写真なんですけどね。
素敵な景色でしょう?
この旅はとても楽しかったのです。

ただ、こういった長い旅に出た直後などに
大切ななにかを忘れてきたような、
そんな感覚に陥ったりしませんか?

元栓を閉めたかどうか不安になったり。
鍵をちゃんとかけたか心配になったり。

う〜ん、本当に本当に長い旅に出るときなど、
そんな感覚に陥る気がするんですよね〜。

というわけで、今日の短歌です。

 

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「原作:こどもたち 演出・出演:大人たち」の演劇

なむはむだはむのポスターです。

「子供の書いた台本をよってたかって大人が演劇にすることはできないだろうか?」と東京芸術劇場芸術監督、野田秀樹さんが思いつき、その案を基にハイバイ主催の劇作家・演出家・俳優の岩井秀人さん、俳優の森山未来さん、シンガーソングライターの前野健太さんがつくりあげたコドモ発射プロジェクト「なむはむだはむ」。この演劇を観てきました。

子どもたちの演劇を観て思ったこと。

大人の書く物語って、線になっている。
つまり、出発点があって、目的地に向かって進んでいく。
だいたい、大人ってそういう歩き方をしてるもんね。
会社に行ったり、買い物に行ったり。目的があって動いてる。

でも、子どもたちの物語は、点。
出発点も目的地もない。
ただ、その場を飛んだり、跳ねたり。
その瞬間におもしろいと思ったことを言う。
確かに子どもって黙ってまっすぐ歩けないですもんね。
水たまりを見つけたら、じゃぶじゃぶその中に入ったり。
段差のあるところをわざと登ってみては、飛び降りてみたり。
なんか、その瞬間を生きている。
ということを子どものつくった話を観て思ったのです。

と、同時におもしろい演劇って、
この大人的な歩き方と、子ども的な動き方が共存しているんだ!
という発見がありました。
出発点から目的地に向かいながら、
その瞬間、瞬間に飛んだり、跳ねたり、
よそ見したり、回り道したり。
遊んでいる。心ゆくまで。

いい物語をつくるには、
大人であると同時に、
子どもであることが必要なんだなと
思った演劇でした。

というわけで今日の歌詠

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デヴィッド・ボウイ大回顧展のあとには美味しいペールエールを

デヴィッド・ボウイ大回顧展の入り口

天王洲の寺田倉庫G1ビルで行われている
デビッド・ボウイ大回顧展
「DAVID BOWIE is」
行ってきました。

架空の宇宙飛行士トム少佐が
広大な宇宙の果てへと漂流してしまう
「スペース・オディティ」で
スターミュージシャンになった彼の
これまでのさまざまな作品や衣装などを
見ることができます。

おもしろいのが入り口で
最初にヘッドフォンを渡されること。
ヘッドフォンを着けたまま、
展示を回ることで、
その作品にちなんだ音楽や音声が
自動的に流れるようにできていて
とてもおもしろいものとなっています。

この回顧展でぼくがなにより感じたのは、
デビッド・ボウイが年齢を重ねるごとに
いい顔になっているということ。
年とともに、余計な力みが抜けて、
自然で柔和な味わい深い顔になっていると
感じました。それって素敵なことですね。

DAVID BOWIEを堪能したあとは、
ぜひ、T.Y.HARBORに。
とても美味しい6種類のクラフトビールと料理を楽しめます。
デートにお勧めのお店です。

バーカウンターでペールエールだけを飲んでも
十分楽しめますので、ぶらっと立ち寄ってもいいですね。

 

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春の訪れ

春の訪れとともに、芽吹くものがあるんです。
数年前から目のふちに(本当にまぶたのもっとも目に近い部分)に
できた小さなイボ。

花粉症で春先に目が痒くて、
つい目を掻いてしまうのですが、
その際に皮膚に傷ができて
そこにウイルスが入ってイボになったらしい。

年に数回、皮膚科に行って
液体窒素で焼いてもらうんですけど、
完全に消えることはなくて、
だんだんと大きくなっていく。
そしてちょうど気になる大きさになるのが
今の季節、な気がする。

う〜ん、不快だ。

案外、こういった変なところにイボなどが
できることって多いらしいです。

そんなまぶたのイボを気にしつつ
見上げるとそこには
春の蕾がいくつもありました。

 

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私もまた春の一部です。

春が訪れています。

季節の変わり目だからなのか、
花粉のせいなのか。
なんだか眠くてしょうがないんですよね。
春の訪れですね。

朝、起きて5分後にはもう眠い。
まぶたが重くなっていく。

まあ、こんなときは
眠るにかぎるでしょう。

むりして働かず。
ぼーっとして。
眠くなったら寝る。

なかなかできないですけどね。
そんな風には。

でも、眠い自分をそのまま
受け入れてあげたいですね。
だって、ぼくたちだって
春の一部なのですから。

昔、アメリカのオハイオ州という
雪深い地域に一年間だけ留学したことがあるのですが、
ようやく暖かくなってきた日。
みながやたらと明るくなったことを覚えています。

やっぱり、ぼくたちもまた、
季節の一部なのだと思うのです。

 

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「足跡姫」という現象

先日、NODA・MAP第21回公演
野田秀樹作・演出「足跡姫 時代錯誤冬幽霊」を観てきました。
作品は亡くなった第十八代目中村勘三郎さんへのオマージュです。

宮沢りえさん、妻夫木聡さん、古田新太さんをはじめ、
豪華俳優陣による、見事な舞台でした。
野田秀樹さんらしく、かつ中村勘三郎さんらしい?
魅力的な舞台です。

野田秀樹さんがウェブサイトで書いているのですが、
中村勘三郎さんのお葬式のとき、
坂東三津五郎さんが弔辞で語った言葉
「肉体の芸術って、つらいね、死んだら何にも残らないんだものな」
が野田秀樹さんの脳裏にずっと残り、
「肉体を使う芸術」、「残ることのない形態の芸術」について
いつか書いてみたいと思っていたそうです。

ぼくは歌舞伎についてまったく素人で、
この舞台に関して感想を書くのも大変恐れ多いことなのですが、
そんな素人が感じたことをちょっとだけ記します。

歌舞伎など
伝統芸能って、名前を受け継ぎますよね。

第十八代目中村勘三郎

といった襲名をする。

「足跡姫」を観ていて思ったのですが、
中村勘三郎とは「役者」の名前ではなく、
「現象」の名前なのではないか。

何百年の歌舞伎の歴史の中に、
中村勘三郎というある種「現象」のような
ものが起きることがあるのではないか。

歌舞伎という芸術のいわゆる「芸」が
本当に極まったとき。

無駄なものはすべて削ぎ落とされて、
その舞台に立つ歌舞伎俳優は
個人の第十八代目中村勘三郎ではなくなり、
長い歴史の中で、歌舞伎の中で生き続ける
「中村勘三郎」になるのではないか。

そんな気がしました。

「足跡姫」は3月12日(日)まで。
全公演当日券を販売するそうなので、
ご興味がありましたらぜひ。

そんなわけで今日の短歌です。

 

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商店街にいらっしゃい

ラーメン屋さん。

商店街っていいですね。
あの雰囲気。
その土地と生きているというか。
各々、店の特色があるというか。
街が見えてきますよね。
そこに住む人々と。

最近、引っ越したのですが、
今は街の商店街を歩くのがなんだかとても楽しいです。
どこに出かけるよりも。

ラーメン屋さん、家具屋さん、仏壇屋さん、碁盤屋さん、
いろんなお店が並んでいます。

ただ、同時にスーパーも便利ですよね。
画一化している感じが、逆に心地いい感じもします。

さ、来週の土日はどこを散歩しようかな。

ということで、本日の短歌です。

 

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閉じ込められてしまった話

引っ越す前のできごと。
ぼくは小さな古いアパートに住んでいたのですが、
トイレから出ようとすると
ドアノブがカラカラと空回りする。

これがそのトイレのドアノブです。
これがそのトイレのドアノブです!

あれ?
ドアノブが空回りする。

ドアノブをいくら回しても、
ドアはびくとも動かない。
一瞬、軽くパニックに陥りました。

トイレに閉じ込められた!

「おーい!」
ぼくはトイレから妻に向かって叫びました。
「おーい!」
妻は掃除機をかけています。
掃除機の音にぼくの声がかき消される。
「おーい!」
「おーい!」
「ぼくをトイレから出してくれ!!!」

掃除機のスイッチの切れる音。
妻のどうしたの?という声と
足音が近づいてきます。

カチャっと
ドアが開きました。
外側からだとドアノブはちゃんと機能していました。

ドアノブが少し壊れただけで、
ぼくはトイレから出られなくなってしまった!
もし、妻が外出していたら、
そう思うとぞっとしました。

ドアノブはネジをもう一度、
締め直したらあっさりと機能するようになりました。

それ以来、我が家のトイレには
もしものために
小さな「ドライバーセット」が
置かれていたのでした。

というわけで本日のビギナーズ短歌

 

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北の国から届いた小説

今月の文藝春秋に芥川賞受賞作の「しんせかい」の全文と
受賞者の山下澄人さんのインタビュー、
そして芥川賞の選考会の講評が掲載されています。

「しんせかい」はどういう小説かというと、
北海道にできた役者と脚本家のための私塾を舞台にした、
そこの「先生」や塾生たちの物語。

この塾にはモデルがあって、「北の国から」の脚本家倉本聰さんが
北海道に立ち上げた役者と脚本家のための私塾「富良野塾」が
モデルになっています。
実際に作者の山下澄人さんは「富良野塾」の二期生の塾生だったんですね。
つまり、できたばっかの、手探りの塾の塾生。

で、彼のインタビューが結構おもしろい。
iPhoneで小説を書いている。とか
倉本聰さんに舞台を降板させられた。とか。
ボブサップが弱くなった理由。とか。

ぜひ、手にとって読んでいただきたいと思うのですが、
でも、でも。
「純文学はちょっと敷居が高いなあ〜」という方も
いらっしゃいますよね。

そういう方のために、
山下澄人さんに殴られそうでちょっと怖いのですが、
この小説の少し変わった読み方をご紹介。
断っておきますが、あくまで邪道な楽しみ方です。
本当は普通に読んでいただくのが一番です。

でも、純文学は…という方が手にとりやすいように、あえてご紹介。

 

では、簡単な手順
手順1、想像で頭の中にあの「北の国から」のメロディを流す。
手順2、「北の国から」の「黒板純くん」の口調で、小説を読んでみる。

 

すると、あら不思議!
純くんが執筆した小説に読めてくる。

文藝春秋に掲載された「しんせかい」を少しだけ抜粋します。
以下、抜粋

何で。ぼくに彼女ができると何で天の腹が立つ。天とはとくに付き合っているというわけではなく、だいたい付き合うということの意味がぼくはよくわからず、でも腹が立つということはそういうことで、そういうことというのはぼくと天は付き合っていたと天が思っている、思っていたということで、

以上、抜粋。

ね、もう「北の国から」の純くんの心の声にしか聞こえない。

みなさま、ぜひともお買い求めください。

というわけで本日のビギナーズ短歌です。

 

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引っ越しでくたくた。

9年間暮らしたアパートから引っ越しました。
いや〜疲れた。
大変ですね。引っ越しって。

引っ越しの中、くたくたになりながらも撮った写真。

9年住んでいると、いろんなものが溢れていて。
もうダンボールの山とゴミの山。
これからいるもの、いらないもの。
一つ一つ分類して。
迷ったり。
判断力の限界で、とにかく捨てたり、とにかく持っていくことにしたり。
なんだか、くったくたです。

でも、いいですね。
なんだかこうやって、
ときに暮らす場所を変えるって
必要なことだと思いました。
生きていくうえで、
引っ越しはちょっと強引なデトックスの役割を
果たしているように思います。
こんなにもいらないものに囲まれて、
不自由な生活を無理にしてたんだなと
実感するいい経験にもなりました。

引っ越してから、
なんだか眠りが浅く、
ちょっと体調もおかしいです。

ただ、これ、
なんかこれから回復して
元気になっていくための必要な
反応だと思っています。
体調が良くなるための、
調整期間というか。

身体の芯に力がみなぎってくる
予感がするもの。

というわけで、本日のビギナーズ短歌です。

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